田中泯とデレクベイリーのコラボパーフォーマンスを観たことがある。
田中泯というのは、田んぼの中でダンスを踊るというような既成概念にとらわれない独特のダンス活動を行い、世界的な評価をもつダンサーだ。
何年か前のNHK朝ドラ「まれ」で渋い塩職人のおじいさんを演じていた人という方がわかるかもしれない。
かたやデレクベイリーは世界的なギタリスト。本当にすごいコラボだ。
ただ、会場はとあるボーリング場。
前衛芸術全盛で、結構なんでもありの時代だった。
まずボーリングのボールをコロコロと投げて、そのボールが転がっているレーンの真ん中で田中泯がデレクベイリーのギターに合わせて踊る。
ここまでくると、もうようわからん・・・。
芸術というと、一部の見識ある人が理解するもの、なんか高尚なものと思っている人がいるかもしれないが、ボクは、あくまでも提供する人と受け取る人とのコミュニケーションと思っている。
音楽もまたしかりだ。ミュージシャンは自分の意思を音にしてオーディエンスに伝え、オーディエンスもまたそれを受け取って反応する。
ミュージシャンが提供するその意思は、オーディエンスの耳に慣れたものから前衛的なものまでいろいろだ。
前衛といったって時代を少しだけ先んじるものだから芸術たるのであって、たとえ少々わからん部分があったとしても、訴えかける力さえあればオーディエンスの心にずしんと響くはずだ。
これがただ単にわけわからんものであれば、演者の独善でしかない。
もっとも今世界のジャズファンに受け入れられ、支持されているパーカーだって、彼のアドリブは最初、「チャイニーズ・ミュージック(=わけのわからない音楽)」と批判されていたらしいから、難しいところ。
使い古された音ではない、一歩先行く音を提供したいとボクは模索する。
そんなことを話していると、スタッフが、「そういえば、田部さんの言うこと、ときどきわからないです。」と言った。
うーん、コミュニケーションは難しい。