凄いよ、コンドー君

ボクは中学校のときにブラスバンドに所属していた。
賞を総なめにするとか、有名なミュージシャンを多数輩出したというようなクラブではなく、まぁごくごく普通の中学校の部活という感じのブラスバンドだった。
部員のなかにボクの同級生でコンドー君という子がいて、ある日「ムソルグスキーの『展覧会の絵』のなかの『キエフの大門』をブラスバンド用に編曲した」と言って、楽譜を持ってきた。
なんて生意気な1年生だと先輩たちは見向きもしなかったが(当時の部活の先輩と後輩との間には明確な力関係が存在したのだ)、顧問の先生がその楽譜をみて「やってみよう」という。
フツーの中学生だったボクは仰天した。若干13歳にして編曲とは。
それから部員一同四苦八苦してなんとか音を合わせることになる。と、これがなかなか良い感じなのだ。本当に凄い奴がいるものだと思った。
コンドー君は、「小学5年のとき、東京芸大の入試課題曲をマスターした」と豪語していたが、彼の音楽に対する意識というか態度は、音楽に対する概念をひっくり返すほどの影響をボクに与えたと言っていい。
彼は、中学2年の夏休み、「コラール集」という小冊子から数曲、4つのパートからなる楽譜を書いてきた。
少ない部員を4パートに分けて、コンド-君がオルガンでそのハーモニィを弾き、音程を合わせて練習するのだ。
たった8小節の楽譜から醸し出される教会風の荘厳な響きにボクは感動した。
その年の秋に彼は東京に転校して行った。
彼とはしばらく文通をしていたが、彼の手紙には決まって音楽のことが書かれていた。楽譜が書かれていて、モーツァルトの協奏曲のモチーフですという手紙をもらったこともある。「ミニスコアは勉強になります。」との手紙に、ボクもコンド-君に負けじと勉強した。ボクの読譜力が飛躍的に伸びたのはコンドー君のおかげだと思っている。
コンド-君は、音楽大学には進学せず、東大を出て、なんとかという研究所の所長になったという噂をきいた。
やっぱり凄いよ、コンド-君。

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