ワタナベ先生のこと

 ボクは中学校のときにブラスバンドに所属していた。
 3年になって部長になったボクは、新入部員を50名入れるという計画を立てた。
 まずはたくさんの人にブラスバンドのよさを知ってもらわなきゃ始まらないと思ったからだ。
 一生懸命勧誘して何とか50名入部を実現させた。ボクの音楽への関わり方はいつもこんな感じだ。
 体育会系のノリで、下級生を鍛えに鍛えた。今だったら、パワハラで訴えられるかもしれない。
 中学校を卒業しても週に何回かは中学校に訪れ、指導を続けた。それ以外の日はボクのあとを継いで部長になったボクの弟にあれやこれやと指示した。
 自慢するわけではないが、ボクの指導のもと弱小ブラスバンドはそこそこの演奏をするようになっていた。
 コンクール出場が決まり、ボクは意気込んでいた。
 「コンクールに出る以上は優勝したい。」
 それは、ボクの夢であり、今まで頑張ってきた部員たちへのごほうびだと信じていた。当然ますます指導に熱が入る。
 ところが、残念なことにコンクールは指揮者にいたるまで学校関係者でなくてはならなかった。中学校を卒業したボクは完全に部外者ということになる。
 指揮をしてくれる人を捜していたところ、白羽の矢が立ったのがワタナベ先生だった。ワタナベ先生は音楽に造詣が深いということを聞いていた。
 コンクールまでにあと少しという時期、仕上がり具合を見に行ったボクは、衝撃的なワタナベ先生の姿をみることになる。
 ワタナベ先生の指揮は、指揮をするというよりまるで踊っているようだった。今までボクが必死で作ってきた形が崩れてしまう、なんてことをしてくれるんだ。これじゃコンクールで優勝することは無理だ。ボクは本気で腹を立てていた。
 しかし、ボクにはなすすべがない。どこにもぶつけようがない苛立ちを抱えながら、コンクールの当日、ボクは会場に出向いた。
 順番が来て、演奏が始まり、いつものように踊る先生の姿が目に入った。
 その瞬間、ボクの体に電気が走った。
 「心から楽しんでいる」そんな雰囲気が、先生から、演奏する生徒たちから感じられて、ボクは涙が出るほど感動してしまったのだ。
 残念なことに、優勝は他の中学にもっていかれたが、ボクにとってそんなことはもうどうでもよくなっていた。
 スポ魂が大嫌いだったワタナベ先生の「楽しまなくちゃ。コンクールのための音楽じゃつまらない。」という言葉が今でも心をよぎる。
 今思えばワタナベ先生もそうした心境に至るまでいろんな思いをしたのかもしれない。
 今でも弟と中学時代のブラスバンドのことを話していると、必ずワタナベ先生の話になる。「会いたいなぁ。」
 ある日弟からワタナベ先生の消息がわかったと連絡があった。
 残念ながら、数年前に亡くなられたという。
 「先生の教えをきちんと守り、伝えています。」
 そう先生に伝えたかった。

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