かくしてジャズはニューオリンズで生まれた

 ジャズ発祥の地として有名なルイジアナ州のニューオリンズ。
 街の名前の由来が「新しい(New)オルレアン(Orleans)」ということからもわかるように、植民地時代はフランス領だった。
オルレアンというのはフランスの王族オルレアン公フィリップ2世のこと、州名のルイジアナはフランスのルイ14世に因んでいる。
 17世紀終わり、フランスは、北はカナダから南はルイジアナまでを支配し、フランスからの移民もどっと押し寄せた。
ところが、こうしたフランスの支配も長くは続かない。フレンチ・インディアン戦争に敗れたフランスはこの地をイギリスとスペインに譲り渡すことになる。
 その後ナポレオンが出てきてスペインを支配したためにフランスは再びスペインからこの地を取り戻すことになるわけだが、1803年、せっかく取り戻したこの地をナポレオンは専ら財政上の理由からめちゃくちゃ安い値段でアメリカに売却してしまう。
 こんなふうにスペイン、イギリス、フランスとヨーロッパのいろんな国に支配されたという歴史から、この街はあらゆる国の文化が混じり合う独自の文化を形成していくことになる。
 言語、建築様式、習慣、料理、そして音楽も・・・まるで文化の坩堝だ。
 ジャズは「黒人音楽と白人がヨーロッパからもたらした音楽の融合」などと表されることがあるが、人種差別がひどかった南部で黒人と白人が一緒になって音楽を演る状況があったとは考えにくい。
 正確に言えば、ジャズは黒人とクリオールと呼ばれる人たちがもたらした音楽の融合なのだ。
 クリオールというのは南部において白人と黒人との間に生まれた混血人の呼び名。
 アフリカから奴隷として連れてこられた人(女性)たちとそれを使う白人(男性)との間にできた子どもたちがクリオールといった方がわかりやすいかもしれない。
 使う側の血が混じっているんだから、白人たちも彼らを奴隷である黒人たちと一線を画して扱うわけで、クリオールたちは准白人としての地位をもっていたと言われている。
 クリオールのなかには黒人たちを使って農場の経営者となり、結構裕福に暮らしていた人もいたらしい。フランスなどヨーロッパに留学していた人もいたとか。
 ところが、こうしたクリオールたちの不幸のはじまりは、南北戦争で北部が勝利したこと。
強大な権力を誇っていた白人たちは次第に力を奪われていく。奴隷解放によって黒人たちの地位が「奴隷」から「労働者」に代わるということは、今までただでこき使っていた黒人たちに賃金を払わなければならなくなるわけだから、白人たちは経済的にも追い詰められていったのだ。
自分の身を守るのが精一杯になった人間が考えることはどこの世界でも同じだ。白人たちが最初に切り捨てたのはクリオールたち。クリオールは准白人の地位から准黒人の地位に落ちてしまう。
 クリオールにしたら、今まで「下」と見下していた黒人と同じ扱いを受けることは屈辱以外のなにものでもなかっただろうし、今までさんざんクリオールから苛められてきた黒人たちがクリオールたちを温かく受け入れるはずもない。そこに壮絶ないじめがあったことは想像に難くない。
 クリオールたちは残酷な運命と感じただろう。
 中流階級を保っていたクリオールたちは職を失い、生活の糧を求めて歓楽街へ。一方奴隷だった黒人たちも、解放されたと手放しで喜べる状況ではなかったはずだ。自ら稼がなければ生きていけなくなったのだから。結局黒人たちも働く場を求めて歓楽街へ流れていくことになる。
 その結果、黒人たちの音楽とクリオールたちが持ち込んだヨーロッパの音楽が融合し、独自の音楽、つまりジャズが誕生したわけだ。
 ジャズの曲の多くがアフリカ音楽のリズムを色濃く残しながら、ヨーロッパの民謡だとか糸紡歌を元歌にしているというのもうなずける。
 最後のところはややはしょりすぎた感もあるが、かくしてジャズはニューオリンズの街で発生し、育ってきたのであった・・・というわけです。

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